Fate「無限の世界」

〜プロローグ〜







 ◆


 俺にはそれが許せなかった。
 不条理に全てを奪われる事もある世界で、既に手に入れている幸せを全て纏めて棄ててしまうその在り方が許せなかった。

 終わらない4日間を走破し、有限の日常を悉く殺し尽くした『俺達』はもはや消えるだけ。
 もっとも、消えるのは俺だけであって、その外殻を借りた男はそのまま生き続けるのだけれど。

 衛宮士郎の在り方は馬鹿馬鹿しくて反吐が出る。
 けど、。まあそれもありだ。俺が言うんだから間違いないって。
 あの偽善も、望外の贅沢っぷりも許せそうにないが、それが衛宮士郎ならしかたない。


 ────────────だから、そんな衛宮士郎が幸せになれないのは嘘だ。


 聖杯の裡から覗き見る現世は酷い有様だ。
 セイバーは消滅し、遠坂凛は死に、間桐桜は壊れ、イリヤスフィールは死に、
 バゼット・フラガ・マクミレッツは死に、カレン・オルテンシアは現れず

 ──────────────それでも衛宮士郎は生きていた。

 四肢は破壊されて、心は蝕まれ、その姿はもはや人とは言えぬ。
 ヒトガタであった彼の姿は刃金の塊と同義で、見方を変えればハリネズミや剣山と大差ない。
 もう間も無く衛宮士郎は死ぬだろう。身体が肉ではなく刃金になって生きられるならそれはもう人ではありえない。


 それが、堪らなく許せなかった。


 この身は未だ聖杯には還ってなどいない。聖杯の裡にいる「この世全ての悪」と「俺」の情報が交じり合って混線している。
 だからこそ平行世界の衛宮士郎が覗けるのだが、それもあと刹那の間。この一瞬の空白の後は「俺」はもう「俺」じゃなくなる。

 ──────────────だから、まだ間に合う。


 まあ、その、なんだ。殻を借りた礼くらいはしないとな。



    さて、



 ちょいと、









      ──────────────俺の願いを叶えようか。











 ◆


 ………そんな、皮肉げに笑う男の、夢を見た。




 目覚めの気分は最悪だ。夢を滅多に見ない俺にしては珍しく夢を見たようだが、どうも悪夢の類だったらしい。
 夢の内容は目覚めた途端に記憶から零れ落ちたが、吐き気がするくらい嫌な感触と感情だけが鮮明に焼き付いて離れない。

 ────────────まるで、この身体が万の剣で串刺しにされたような不快感────────────
 ────────────大切な人達が死んでしまったような喪失感────────────

 ……っは。なんて夢だ。10年前の大火災の夢も大概だが、今日の夢も負けてない。

 「にしたって、アレはないだろ」

 赤い布を一枚腰に巻いて、全身にペイントしていてやけに雑魚っぽい俺とか。
 あれか?あれは俺の何かしらの具現とか象徴とかそんなんなのか?


 わお。なんて斬新なんだ。フロイト先生も草葉の陰から泣いておられるに違いない。


 「ってもうこんな時間か。朝飯作んないとな」


 そう言って俺は身支度を済ませ、部屋を後にする。途端に何故か気になってもう一度部屋を見渡す。
 いつもと同じ風景。いつもと変わらない俺の部屋だ。


 ──────────────まるで万の剣に──────────────


 「っ………」


 ぞくりとする。
 意味も解らないまま、悪寒を振り払うように道場へ向かう。朝食の用意は後回しだ。

 今は、ただ無性に身体を動かしたかったから。


 ◆


 「はっ」

 今日が休日でよかった。こんな気分で学校に行った日には何人か怪我人を出しただろう。
 投影した夫婦剣を手に流れるように舞うように型を連動して繰り出す。なにせ対戦相手がいないのだから仕方ない。

 「っ!」

 裂帛の気合で振り下ろして、一息つける。正直根を詰め過ぎだ。朝飯も食わずに都合5時間も鍛錬をしては身体の方が壊れる。
 干将・獏耶にそれぞれ魔力を通す。構成を歪められた夫婦剣はそれで融けるように消えていった。
 そこで漸く自分が汗まみれになっている事に気が付いた。いかん。水分を補給しなければ………
 入り口の脇に置いておいた薬缶まで歩いて、倒れるように座り込む。壁に背中を預けていると冷たくて気持ちがよかった。

 「ふぃ〜」

 鍛錬している時は集中していたから雑念が入る事はなかった。
 けれどこうして少し休んでいると、どうしても頭に不快な感情が、どうしようもなく渦巻いてくる。

 ………仕方がない。俺は衛宮士郎だけど、どうしようもなく衛宮士郎とは違うのだろうから。

 思い出す。失われた記憶の断片がカチリとはまる。自分でも封印しておきたい記憶が自然と溢れ出す。
 それは衛宮士郎が■■士郎になった瞬間であり、衛宮の殻で偽装した、始まりでもある。

 決して忘却することは出来ない、殺害と誕生の瞬間を。


 ◆





 世界は無限に存在している。
 第2魔法を使う宝石の翁を例に挙げるまでもなく、それは魔術師にとっては常識であり当然の規則。
 だから無限に世界が存在すると言う事は、無限の誰彼が存在すると言うことになる。
 そう。それはつまり、『無限の可能性』に他ならない。

 例えばAと言う少年がいる。この少年は勉強は得意だが運動が苦手という基本性能を持っているとしよう。

 しかし平行世界の少年Aは?

 無限の世界がある以上、勉強も運動も完璧にこなせる少年Aが何処かの世界には確実に存在するのだ。



 ────────────ならば、そう。例えばこんな世界も………











 「よう。いきなりだが、ちょっと出張してくんねーか? 正義の味方さんよ」


 「────────────────────────────」


 「なに簡単な事さ。ちょっと俺の世界のお前を助けてやってほしいんだよ。俺じゃ駄目だから」


 「────────────────────────────」


 「出来るだろう? 『6人目の魔法使いとして、正義の味方として生きた』衛宮士郎なら。」


 「────────────────────────────」


 「ああ、もうあんまり時間もねーか。参ったな。俺ちゃんと身体ある?」


 「────────────────────────────」


 「まあ、とりあえず案内するから来てくれよ。頼むから」






 「───────────────────────わかった」





 そう言って異形のヒトガタと老人はこの世界から消失した。
 

 ◆


 2年前。俺は消滅し誕生した。
 ったく、10年前にも死んで生まれたのにまたかよ、って正直思ったんだが・・・
 まあそのお陰で得られたものは大きかった。だから感謝する事にする。一応。


 何があったかって訊かれても、そんなに面白い話じゃない。


 2年前の冬の事だ。
 いつもの様に土蔵で魔術の鍛錬をしている俺を、いきなり擬似世界へ『俺』と宝石の翁が拉致して監禁しやがった。
 何でも、アヴェンジャーとか言う反英雄の頼みで俺に魔術を教えに来たんだと。
 切嗣という師を失って、まったく成長しない俺にとってはありがたい話だったんだが………

 宝石爺は致命的なうっかりを発動させやがった。
 魔術を教えると言っても時間もないし、手っ取り早く仕込もうとしたのか、奴の経験を俺に憑依経験させようとしてな?

 見事に失敗しやがった。

 『平行世界の衛宮士郎』の経験や技術だけを俺に学ばせようとして、奴の知識や記憶まで俺に流し込みやがった。
 奴と俺は必死になって自己を保とうとしたが、何せ相手は自分の同位体。情報は混線してもう滅茶苦茶。
 なんとか自我崩壊は免れたが、奴は消滅。俺は奴の精神と融合した挙句、アヴェンジャーの精神まで混じっちまった。


 「これは興味深い。同位体を取り込む事で自我を失わずにすんだか」


 なんてほざいたのは宝石の爺。
 野郎は「弟子の不始末は師の不始末」なんて誤魔化していやがったが、そういう台詞は俺の目を見て言いやがれ。


 顔を逸らすんじゃねえ!冷や汗を掻くな!


 ………んで、それから1月くらいか、爺さんに稽古つけてもらってたんだっけ。
 同位体たる『奴』から得た知識・経験だが、それは結局俺のもんじゃねーからな。
 必死こいて修練して自分の身体に馴染ませたっけ。
 ついでに、俺の魔術に関する勘違いを矯正してまた鍛錬。継承した魔力のせいで持て余し気味だったけど。

 だが、どうにも記憶の混乱が酷くってな。
 本来の俺が知らない情報を知っているのは、何かとやり難い。
 しょうがねえから記憶を部分的に消去、封印してもらって、やっとこ元の世界に帰って来たのさ。
 そん時に爺さんが紹介するってんで遠坂家につれてかれてよ。そこで凛と会ったんだっけ。
 凛が魔術師だなんて知らなかったし、俺はモグリの魔術使いだしってんで、最初はかなり嫌われてたと思う。
 まあ、結局は凛が俺の師になってくれたから、助かってるんだがね。

 爺さんとは、それから数回しか会ってねえ。
 向こうはあれで色々と忙しいみたいだし、年に3回くらい現われては俺に飯を作らせて酒飲んでまたいなくなる。
 ………まあ、俺の事を心配して様子を見に来てくれてたって事くらいわかってるさ。

 魔術の理論は知識として頭ん中にあるから、それを磨いて修練して。
 戦闘の経験も身体が覚えているから、必死こいて鍛錬したさ。

 そんなこんなで、今の俺が在るわけだ。

 な?長いわりにつまんねえ話だったろ?


 ・・・あ?結局誰が死んで産まれたのかって?



 お前、馬鹿か?



 10年前に■■士郎が死んで衛宮士郎になったように。
 2年前はこの世界純正の衛宮士郎が死んで、ごちゃ混ぜの衛宮士郎が産まれたって事だよ。要するにな。



 ◆


 −interlude

 さて、どうしたものか。
 アヴェンジャー………アンリと名乗ったか。彼の要求に応えるには、実は私だけでは足りない。
 如何に平行世界を運営する力を得ようとも、得手不得手はあるのだ。
 そもそも衰えた私では、若々しいあの少年を鍛える事など難しいだろうしの。

 「ふむ………癪ではあるが、やはり師に助力を求めるのが筋であろうか」

 「あ? 師って遠坂の嬢ちゃんか?」

 アンリの答えは的外れではあったが、それなりに遠くもないか。
 それに、彼女に助力を求めたとしたらあの少年はきっと、その、今後の人格形成に多大なダメージを受けると思う。

 「いや、私の師であり、彼女の師でもある」

 まあ、つまりは………


 「ワシの事じゃな」


 呼ばれた訳でもないのに、こうして必要な時に現れてくれる『魔法使い』の事だ。
 名をゼルレッチ。キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。
 かの月の王を打倒した宝石翁。第2魔法の正統な使い手だ。死徒に名を連ねる有名人でもあるが。

 「いや、これから呼ぼうと思っておったのですが。流石に『新たな魔法使い』の誕生には敏感ですな」

 「これも仕事の内と思っておるでな。さて、時間は有限じゃ、特にお主にはの」

 「それは耳に痛い。貴方はあれから変わりないが、私はこの通りですからな」

 まだ私が23歳の頃だ。今より50年以上も昔。
 私が遠坂に残された宝石剣の設計図を完璧に投影した時に、この魔法使いは現われた。
 いきなり現れた大師父に向かって「あんた誰だ?」と言った私を、凛とルヴィア嬢が大慌てで黙らせたな。ガンドで。
 あれから時は流れ時代は変わったが、あの頃の姿のままだ。
 自分を見れば、はは、なんと老いた事か。

 「あの頃は飯くらい自分で用意していたのですが、今では鍋を振る事も難しくなってしまいました」

 それから少しだけ、昔の話を楽しんだ。
 アンリはそれを楽しそうに聞いては、私や師におどけてみせた。

 暫くして話が途切れると、師は真剣な目で私に尋ねた。

 「何故、このような事をしようと思ったのだ?」

 「確かに、平行世界への干渉は褒められたものではない」

 「それが解っていながら、か」

 「師よ。私は正義の味方だ。救えるものは誰であろうと全てを救いたいのです」

 「それだけではあるまい?」



 「──────────────許せないのですよ」



 「あの少年と私の性能に差など殆どない。それが『救われぬ』と世界が決めただけで私と違う未来が用意される。
  それが許せないのですよ。同じ努力。同じ環境。なのに私が救われて彼が救われないのは納得できません」


 「故に世界を敵にすると?」


 「はは、それこそ今更ですな。正義の味方として抑止と戦う事など何度もあった。今回も同じです」


 「そうか。ならば、師としては弟子の要望に応えねばの?」


 「ご迷惑をおかけする」



 「なに。ワシも興味がある。それにの、世界を相手に喧嘩するというのも、中々に楽しそうであろう?」



 いやまったく。この人は変わらぬ。昔と変わらず豪快で、人の良い魔法使いのままだ。



 −interlude out 


 ◆


 …………随分と訳の解らん夢だな。

 壁に掛けられた時計を見れば、まだ深夜。
 日が変わって間もないくらいの時刻。

 「…………あいつの記憶か?」

 俺の理想の体現。
 世界などに頼る事無く、己の力で理想を手にした『衛宮士郎』。
 ………いや、本当は『■■士郎』なんだが…………

 苗字が変わってるって事は、結婚してたのか?

 いやいや。
 喩えそうだとしてもそれはそれ。
 俺にはまったく関係無い話だ。

 気にしてないぞ?

 つーか俺の苗字が変わってるって事は婿入り?
 誰だよ相手は。まさか赤い…………

 だから気にしてねーって!!

 ああ、もう寝よ。寝直そう。
 いつか思い出すのかもしれないし、忘れたままかもしれんが。

 …………そうだよな。
 あいつの大切な想いを、俺が穢す事は出来ない。



 まあ、それでも気に…………してないってば。


 ◆


もりもり元気が湧いてくる!