Fate「無限の世界」Act.1
〜始まりの朝〜
◆
───────────気が付けば、焼け野原にいた。
・・・まあ、要約すれば単純な話だ。
身体を生き延びらせた代償に、
心の方が、死んだのだ。
───────────ただ、それだけの話。
◆
「……………む……………」
目を開ける。朝の冷気が肺に落ちて意識が覚醒していく。
最初に目にしたのは自分の手。そして踏み固められた土蔵の土床。
鳥の囀る声が聞こえ……………ああ、そうか朝か。
のそりと身体を起こして胡坐に座って辺りを見回せば、やっぱり此処は土蔵の中。
修理途中のストーブや工具が手前に転がり、それの他にも壊れた日用品などが雑多に積まれている。
要するにいつもと変わらぬ風景。俺の工房とも言える土蔵の内だ。
「……………ん?」
いや確かに此処は居心地が良くて好きな場所に分類できるけど、冬の寒い季節に泊り込む程ではない。
自室には暖かくて清潔な布団があるというのに何故俺は此処で寝ているのか?
「……………そっか。昨日は届いた水銀を………」
普通に危険物を取り扱っていたりするが、もちろん許可なんぞもっているはずもなく。
藤ねえや桜…………まあ、ついでに凛にもと思って、聖別した水銀から護符を作ったんだ。
んで、それぞれの意匠に拘っていたらもう深夜。力尽きてそのまま寝ちゃったのか。
奥に魔術で偽装してあるが、本格的な工房はそちら。魔具製作の為に凛の協力・監修のもと造られた。
凛の奴、基本的には放任主義な癖に、こういう時は抜け目ない。ちゅーか信用されてねえなあ、俺。
弟子が外道に堕ちぬように指導・監視するのは師の義務なのだろう。
それに、工房と言っても………なんと言うか、解り易く言えば金属の加工場といったところだ。
ぶるっ
「っつ…………流石にまだ冷えるな………」
そりゃ土の上で寝てりゃ身体も冷気に侵されて当然。
屋根があっても窓は開けっ放しだし…………やべ、マジで寒ぃ………
寒さに凍えた身体を動かして(なんか関節がぎしぎし鳴ってる)隅に置かれたロッカーに手をかける。
「────────────制御開始」
凛に教えてもらった魔術による錠前はとても便利だ。
たまに無断で土蔵に侵入して、ガラクタとか奇妙な人形とかを置いていく虎が開ける心配もないし。
普通に鍵でも開けられるのだが、その鍵は凛しか持っていない。
ぶら下がっている南京錠もロッカーも、強化の魔術でタングステン鋼を凌ぐ硬度を誇る。
ふふふ。虎め。この中だけは絶対に進入させないぞ……………
昔、鍵をかけた箱を藤ねえが発見して、鍵を破壊してまで中身を検められた事があった。
ちなみに中身は俺の宝物が入っていたのだが………藤ねえに壊された。
俺は泣いた。泣いて大人の階段を登ったよ。
金属の擦れる音。開錠は問題なく成功したようだ。
その内側は容量が外観と一致しない。これは凛ではなくゼルレッチの作だ。
本当はその造り方、と言うか魔術を教えて欲しかったんだけど、酒の礼だと言って造ってくれたのだ。
いやどう考えても提供した物の対価が過剰にすぎると思うんだが?
入ってしまえば、そこには12畳ほどの空間がある。
そそくさと扉を閉めてクローゼットから着替えを漁る。
実は着替え程度なら此処にも幾つか置いてあるのだ。
着替え終わると、机の上に置かれた昨夜の成果に気付いた。ちょっと手にとって眺める。
「………うーん………やっぱり大聖堂の銀十字架から熔かして作ったほうがよかったかな…………」
普段身に着けておく、身近に置いておくだけの品だが………これじゃあ2流の仕事だ。
効果は精々が魔除け程度。対魔力なんて微々たるものだし………
「………凛に渡したら笑われそうだな」
うん。絶対に笑う。それも盛大に笑うだろう。
去年の誕生日に宝石を『融かして』織り込み、銀糸で呪的に強化した髪留めのリボンなんて、
『………勿体無い………』
とか言った挙句に『原石を貰った方が使い道がある』なんて言われたし。
結構自信作だったんだけどなあ………
ま、藤ねえと桜のやつはこれでもいいだろ。
2人とも魔術師じゃないし。これでも日常の災厄からは十全に守れるか。
虎型と兎型のキーホルダーだけ持って居間へ向かう。
凛の分は作り直す事にして、そのまま置いていく事にする。
──────────────さて、朝食は何にしようかね………
◆
時刻はまだ5時。
桜が家に来る時刻まで少しばかり間がある。
その間に朝食の用意をしてもいいけど……………
「ちょっと鍛錬してからにするか」
居間へ向けた足を方向転換。
この衛宮邸は町外れに位置する武家屋敷だ。
切嗣は名士でもなければ真っ当な職も持たぬ身のくせにこんな広い家を持っていやがった。
………魔術師ってそんなに儲かるのか?とか訊いたら、切嗣は寂しそうに笑うだけだったが。
そんなやり取りから、俺は魔術師=苦労人という構図ができあがっていてゼル爺に笑われたっけ。
まあ、そんで切嗣には日本に親戚の類がいないらしく、なし崩し的に俺が屋敷を相続したのだが、
勿論俺にそんな面倒臭い法的な問題を管理する能力などない。
切嗣の残した『こちら側』の遺産は、形見として大事に保管してあるが
相続税だの資産税だのと面倒で小難しい話は全て藤村の爺さんに任せっぱなしだ。申し訳ない。
藤村の爺さんとは近所に住む大地主で、切嗣曰く、
『極道の親分みたいなじじい』
ああ、いや。無論ただの偏見だ。
雷河爺さんはそのものずばり極道の親分なのだから。
「……………いや、それはそれで問題がある気もするけどよ」
あえて追求はしない。しないぞ。しないったら。
それに、雷河爺さんはおっかねえし無駄に元気な人だけど、悪い人じゃない。と思いたい。
爺さんが趣味で乗り回している化け物みたいなバイクをチューンすりゃとんでもない額の小遣いくれるし。
知り合いの日本刀蒐集家を集めた鑑賞会とかにも連れてってくれるし。
………別に誤魔化しているわけじゃあない。
ま、とにかくそんなこんなで、この屋敷には俺しか住んでいない。
切嗣に引き取ってもらったのが10年前。
切嗣が死んでからは5年が経った。
まったく。時が経つのは早いもの。あれから俺はどれだけ成長したのだろうか。
「…………今の俺だったら、切嗣と一緒に飛び回れたかな…………?」
切嗣は、俺が一人で留守番できるようになると、頻繁に家を空けるようになった。
今にして思えば、あれは魔術師として何処かに赴いていたのだろう。
旅先で切嗣が何をしていたのかは知らない。知る必要はない。
けど、正直に言えば、あの頃の俺だって、切嗣と一緒に行きたかったのだけれど。
がら…………
甘くもあり酸っぱくもある思い出に一人で花咲かせていても仕方ない。
切嗣が道楽で立てた道場に礼をして入る。
──────────────しん、とした空気が弛緩した心を覚醒させる。
かちりとスイッチが切り替わる錯覚。頭の中で撃鉄が上がるイメージを幻視する。
魔術使いとしての側面を表に押し上げる。
目の前には仮想の敵が1体。
実力設定。成って400年ほどの死徒を想定。
兵装は両の爪のみ。身体性能は衛宮士郎を上回る。
魔術の使用は不可。魔眼は暗示系。
以上を基礎に彼我の戦力差を算出。
─────結論。体術を武器とした衛宮士郎の敗北は必定。
目を開ける。空想の敵を視認する。
認識する。この敵を打倒するには体術では不足だと認識する。
解析する。この敵の持つ戦闘能力を、基本性能を解析する。
「──────────────同調開始」
鋼の魔力が身体に浸透していく。回路の調子は普通。可も無く不可も無く。
空間認識能力が上昇。床に落ちている糸屑の位置まで把握できる。
──────────────すっ
奴が視界から消えるのと同時に左へステップ。
数秒前に頭があった空間を爪が引き裂いていく。
奴は俺の準備なんか待ってくれない。当たり前だ。それが戦闘だ。それが闘争だ。
「──────────────投影開始」
分析する。この敵の戦術理論を闘争理念を分析する。
検索する。この敵と戦うための己の武器を検索する。
奴の爪を防ぐ事は出来ない。
例え鋼の如く強化された身体でも、死徒の力の前には砕かれる。
先を読め。手筋を読め。5手先から相手の動きを読んで回避しろ。
同位体より継承された投影可能な武器の検索終了。選出。
敵と渡り合える武装を己の裡から、剣の丘から引き上げる。
────────────創造の理念を鑑定し、
────────────基本となる骨子を想定し、
奴の動きが変わる。避け続ける俺に嫌気が差したのか速度が上がる。
空間把握でも追い付けぬ速度。結論は回避不可能の5文字だけだ。
────────────構成された材質を複製し、
────────────製作に及ぶ技術を模倣し、
────────────成長に至る経験に共感し、
当たる。奴の爪に強化した服ごと刻まれる。
治療に魔力を割く余裕は無い。
上から、背後から、左から、右から、正面から、下から、縦横無尽に襲われる。
────────────蓄積された年月を再現し、
────────────あらゆる工程を凌駕し尽くし、
盾に使い続けた右腕は廃棄寸前。
肉は抉れ骨が露出していて、思考が苦痛に染まっていく。
痛みが脳を侵していく。
──────────────ここに幻想を結び剣と成す!!
「────────────投影終了」
受ける。
守り続けた左の手には柄に広い籠手状のガードの付いた直刃の短剣。
硬質な鋼で作られた受け流す事を前提に作られた剣。
かつてヨーロッパで生まれた護剣術。
届かざる左の短剣。
その理念を模倣し、技術に共感する。
奴の動きを受け流し、その脅威を遠ざける。
──────────────だがそれもすぐに覆る。
奴の動きを止める事は出来ない。
『身を守る事』に特化した剣では打倒できない事は解りきった当然の事実だ。
だがいい。それでいい。
この身は剣。誰かの為に振るわれる一振りの剣だ。
守る事に特化しなければならない。
勝つ事に執着しすぎてはいけない。
故に振るう。例え傷付いても。誰かを守る為に闘う為にも。
例えば桜。
例えば藤ねえ。
例えば一成。
例えば綾子。
例えばネコさん。
例えば慎二。
例えば街の知り合い。
そして、例えば──────────────
だんっ!!
「──────────────ふぅ…………」
手の中から短剣が消えていく。
すっかり汗に濡れた身体が熱い。こりゃ飯の準備よりシャワーが先だな。
「結局、負けたか」
最後の最後で集中が途切れたのが失敗だ。
敵の前で集中しきれないなんて、なんて無様。
僅かな動作の遅れから爪を防ぐ事が出来ずに、首を刈られてしまった。
無論、空想上の存在の攻撃に傷など残る訳もないのだが、何となく首を撫でてしまう。
時計を見れば、始めて10分しか経っていない。
だが身体は疲れきっていて動く事も億劫。
ただ左手の甲に違和感。見やれば奇妙な痣が出来ている。
む。何処かでぶつけたか?
しばらく痣を睨んでやっと気付いた。
「ああ、これが聖痕か。」
令呪と呼ばれる下らないゲームへの参加資格。
これが俺の腕に現われたと言う事は、俺も聖杯に選ばれた参加者なのか。
傷が痛む訳ではないが、意味を知ってしまうと堪らなく憂鬱だ。
大体だ。俺には聖杯に願う願望なぞありはしない。
あったかもしれないが、今の衛宮士郎にはない。参加するだけ無駄なのだが・・・
「……………まあ、いいや」
そんな事より、今は身体と朝食の準備だな。
結論。日常生活に支障なし。うむ。問題無し。令呪は包帯でも巻いとけばいいだろ。
魔力殺しの聖骸布のは…………まだあったよな。うん。
よし。これにて鍛錬は終了!こっからは凡人の衛宮士郎の時間だ。
さっさとシャワーで汗を流そう。シャツが肌に張り付いて気持ち悪いんだよ。
……………あ〜、でも朝飯は何作ろうかな〜……………
虎の事を考えると、適当に済ます事も許されないので憂鬱だ。
ま。冷蔵庫の中身を見ながら考えるか。
礼をして道場を出る。
今日も一日頑張んべ〜
◆
さて。朝食の準備は整った。
飢えた虎や桜を迎撃する限定礼装の数々をテーブルに並べる。
──────────────りん……………
凍えた鈴の音色が聞こえる。
屋敷の結界とは別に用意した結界が反応しているのだ。
屋敷の結界が防犯と警告なら、こちらの結界の目的は真逆。
俺の身内が範囲内に進入すると反応するようになっている。
鈴の音は桜に反応した時の音だ。
もう屋敷の門に付く頃だろう。うむ。我ながら時間ぴったりだ。
──────────────がぁおおおおお!!!!
「うおおおおお!?!?」
今度は虎の咆哮。しかもかなり大きい。
やばい。物凄い速さだ!このままでは桜がタイガー号(原付)に轢かれるか!?
慌てて居間を飛び出して、玄関を越えて、門へ──────────────
ぎゅいいいいい!!!
どんっ!!!
あれ?何故だ………何故俺の腹にタイヤが………タイヤ………
「あれー? 士郎。飛び出ると危ないぞー?」
ものっそい衝撃が水月を貫通して背中から抜けていく。
普通に胃液を吐きそうだ。つーかむしろ死ぬあぁもうだめ………
「先輩!?」
桜が駆け寄ってくるのが見えた。
ふふふ………無事でよか………った………
ち────────────ん
「おお士郎。一撃KOとは情けない」
「って言ってる場合ですか、先生! 先輩しっかりしてください〜!!」
◆
「ひでえ目にあった」
「大丈夫ですか先輩?」
あれからすぐに復活したのが逆に怖い。
俺の身体は本当に人間の規格で作られているのだろうか?
まさかゼル爺に改造とかされてないよな?
俺が自分の存在という哲学的な命題に悩んでいると、
底抜けに明るい声に邪魔された。
「じ、自業自得よ〜、士郎ってば飛び出してくるんだもん。原付は急に止まれないんだもん」
新聞紙の向こう側から顔も出さずにそんな事をのたまう藤ねえ。
何様か!!
俺が用意した朝食に手もつけずに新聞など読みやがって。
「って言うか新聞読むのヤメロ。行儀が悪いぞ。」
びしっと箸で突いてやっても効果なし。
溜息ひとつで俺の精神はダウンさ。
桜が注意しても聞きやしねえ。
「まあ、虎は放っておいて。桜、食べないと遅刻するぞ?」
「あ。はい」
「「いただきます。」」
手を合わせて桜と唱和。
いただきます。山の幸様、海の幸様、農林畜産に携わる全ての人。
用意したのは日本の伝統的な朝食と言える内容なのだが、今日はちょっとオマケに一品とろろが追加されている。
この前藤ねえが持ってきた野菜の中に混じっていたのだが何となく食べたくなったので擂ってみた。
「とろろには醤油………っと無いな。桜。そっちの醤油を取ってくれないか?」
「はい。どうぞ。とろろに使うんですか?」
「ああ。とろろには醤油ってのが俺のルール」
桜が取ってくれた醤油をとろろにかけようとして────────────
……………なんだ、この視線は?
奇妙な視線に戸惑う。
好奇心とかその他諸々の感情を感じて、傾けた醤油を止める。
ぴく
新聞からはみ出た肩が反応。
よく見れば藤ねえの視線は俺の醤油に注がれている。
……………また何か企んでるのか……………
( 解 析 開 始 )
基本骨子──────────────解明。
構成材質──────────────解明。
……………成程。
普段の俺ならこのまま醤油を机に戻すだけだが……………
俺の手は醤油を持ったまま旋回して、
「藤ねえも醤油だよな? 俺がかけてやるよ」
とても良い笑顔で藤ねえのとろろに盛大にかけてやった。
「あああああああ!?!?」
新聞紙を放り捨てて悲鳴を上げる虎一匹。
うむ。天罰なり。
「先輩。何をしたんですか……………?」
一連のやり取りから、すでに答えは解っているのだろうが、説明を求める桜。
怪訝そうな顔には『もしかしてまたですか?』と書かれている。
「醤油のラベルを張り替えてたみたいだな。中身は………ソースだな。しかもオイスター」
黒い液体に侵されたとろろを涙ながらに手に取る藤ねえ。
その様はまるで大切な赤子を失った母の如く悲壮であった。いやとろろだよな?
俺は正しく醤油の入った容器を解析で探し出し自分の分には正しくそれをかける。
「ん。これは醤油だな、ほれ桜」
「は、はい」
「藤ねえはそれ、ちゃんと食べろよ。食べ物を粗末にするなら二度とご飯を作ってやらねえからな?」
「う、ううううう……………」
上等なはずの朝餉がゲテモノに成り果てたが、黙って食べるあたり藤ねえだ。
俺は焼き鮭をつつき……………む、塩の加減がまだ甘いな。
桜は味噌汁を片手に考え込むようにお椀を睨んでいる。
いつも通りの朝の景色。変わらない日常。
今日も衛宮邸は平穏無事。このまま毎日が続けば……………それはそれで退屈だが。
「さて、今日はどんな一日になる事やら」
そんな事を、何となく口にしてみる。
空は青く澄んでいて、これ以上はないってくらい清々しい。
しかし俺の目には、何処か不吉なものに見えて仕様がなかった。
◆
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